山と森と川 自然一杯の保育園 ながさわ保育園

保育園について

ながさわ保育園の歩み -創立50周年を記念して-

お世話になった先生方の声

一見和子先生 (旧姓:古川)

○ながさわ保育園(旧:長沢愛児園)設立当初に保育士として勤務

創立50周年おめでとうございます。
ながさわ保育園設立当初に保母として太田和先生と共に短い間でしたが勤めさせていただきました。初代園長先生をはじめ、アットホームな深廣寺様の御家族の方々、畳敷きの御堂での保育、竹林を拓いて整地された運動場、ブランコ、すべり台・・・、そして可愛い園児の皆さんの顔一人一人が走馬灯のように甦ってきます。
あれから半世紀という歳月が過ぎたなんて夢のようです。その間に沢山の園児を送り出され、又、この度は新園舎も竣工とのこと、ますます充実整備された環境の中で、幼児保育に献身なされていることに隔世の感がいたします。
芽生えたばかりの柔らかな命が、その個性がよい環境の中で感性豊かに育まれますことを念じております。

村上みつ先生 (旧姓:上田)

昭和46年9月

東山動物園にて後列右から2番目が村上先生、左端が初代園長

 

○昭和35年から平成5年まで33年間保育士として勤務
ながさわ(長沢)保育園が誕生して50年
緑豊かな自然、心あたたまる地域の方々、そして沢山の明るく輝く瞳の中に囲まれて、学生時代の実習生活を含めて35年間、園外保育で地域の皆さんと触れ合った時の思い出等、頭の中は整理がつかないくらいいっぱいです。
まずは、園児たちの登降園、自転車を使っての送迎。長瀬神社の北の方や長沢新田迄、寒い冷たい凍りつくような日が続くと、川に氷が張りその上をそーっと歩いてみたり、小さい子は自転車の後ろにつかまったり、またペダルに乗ったりと広い広い大地の中で大きな声を張り上げての朝夕でした。
そして、昭和43年、送迎用に赤いワゴン車が・・・、沢田石油で働いていた小岐須町の酒井さんや葉田文彦さんの運転で、その後クリーム色のワゴン車に・・・、そして大型マイクロバスは昭和54年からです。それ以来伊船町のクリーニング屋さん古市健治さんの安全運転で楽しい登降園が今も続いています。
夏の水遊び、毎日のように御幣川に出掛け、年長さんは深いところを見つけて、上と下で保母がしっかりと見張っている中、高い土手の上から飛び込んだりもしました。
そして、プールの始まり、タイルを張った足洗い場のような直径3メートル、深さ30センチ位の円形・・・、長沢町の左官屋さん村田治さんが作って下さいました。7~8人ずつが交代で遊びました。なぜか、今の園長先生が高校生だった頃と結びつきます。
春の親子遠足
昭和45年くらいだったかな、鈴鹿サーキットのカーニバルに参加、簡単なお面をかぶるとか、工夫した仮装等、毎年誰かは良い賞を手にしていました。当時の司会は長沢じゅんさんでした。
夏の夜のつどい(キャンプ)
昭和48年から始まり、お盆休み前に一泊、夕方に登園、金魚すくい、キャンプファイヤー。園庭で夕食、フォークダンス、そして花火。ホールに入って、人形劇、紙芝居等を見て布団の中、なかなか寝付かれず何度もトイレに行く子、不安そうな目つきでいる子、疲れていたのでしょうか皆寝付きました。朝になって自分の布団を探さなければならないくらい眠っていても運動していましたね。たった一晩親から離れただけなのに、ずいぶんと大きく成長し、自信たっぷりの姿になって8月11日~20日の約10日間の夏休みになりました。
運動会
伊船の保育園と合同練習をし、深伊沢小学校の運動会に参加していました。
“えくぼちゃんのえくぼ”の遊戯をした時の思い出
♪えくぼちゃんのえくぼすてきでしょ
からすがかえりにちょっとよって
つついてみたいといいました
わたしはえくぼちゃんほーらね♪
大きな音を出して、何度も何度も練習するので、お寺で将棋を指しているお客様が♪つついてみたいと・・・♪と口ずさみながら手を動かしてみえたそうです。
保育園の園庭でうんどう会をはじめたのは、昭和54年・・・、その時は9月23日に他の保育園(石薬師第一、第二)を見せていただき、勉強し、父母の会役員会をはじめ、準備等に何度も出ていただき、初めての長沢保育園単独のうんどう会を10月9日に開催しました。
秋祭りは、長沢の祭りのときは休園で、椿の祭りのときは午前保育でした。これが昭和49年まででした。また、社会見学(動物園行き)の翌日はお疲れ休みで休園でした。
小学校が夏休みに入ると保育園は午前保育、そして保育園の夏休みは8月11~20日、冬休みは学校と同じでお正月1月1日はおめでとう会、着物姿で登園の子が沢山いました。
おゆうぎ会、始めはおひなまつりの3月3日にしていたのが、昭和47年度から冬休み前のクリスマスにするようになり、昭和48年迄の舞台は組み立て式で園児の机を並べてその上に箱板を4枚はめ込んだ手作りのステージでした。その箱板は使わないときは御堂の北の縁側に積んでありました。

前川博子先生

○昭和53年から58年までと平成元年から7年までの計12年間保育士として勤務

50周年おめでとうございます。
私が長沢保育園(現:ながさわ保育園)でお世話になったのは12年間でした。
子どもたちと過ごす毎日が楽しくて、保育の仕事が大好きでした。
今、思い出せば前半の6年間は保育の形態に変化が起こったときだったと思います。一斉保育から自由保育へ活動もどんどん変化していきました。でも、自分の中へ素直に受け入れられず、ジレンマに陥って迷っていました。その時、前園長先生が、「ここは今のやり方でいい」と一言。ほっと安心したのを覚えています。自分自身が子育てを終えた今、考えてみれば、子どもたちを大切に思えばどんな形態であろうとそれはあまり差がない事なんだ、そんな思いの一言だったのだと思います。
後半の6年間は、保育園そのものが変化のときだったと思います。「家庭と保育園」の関係から大きく扉を開き、地域社会のなかであり方を考えるときだったと思います。中学校の生徒さんの来園、おじいちゃん、おばあちゃんとの運動会等、とても懐かしく楽しい思い出です。
近年は子どもたちにとって受難の時代となりました。毎日のように目を覆いたくなるようなニュースが流れています。この世に生を受けた子どもたちはみんな宝物なのに淋しいですね。
どうか、笑顔いっぱいで毎日が過ごせるように子どもたちをずっとずっと見守っていってください。そして、楽しい思い出をいっぱいもらった長沢保育園、ありがとうございました。